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原爆の日

今日は原爆の日。
自分は幼少の頃に広島に行ったことがあります。原爆ドームと確か投下直後を再現した資料館みたいなやつ。
あれから30数年経った訳だが未だに脳裏に焼き付いている得体の知れない怖さがある。
自分は戦後の人間で、戦争は悪!人類皆平等!平和が1番!って時代を生きてきた。
今だから言えるが天邪鬼な自分は戦争に対して前向きな気持ちを持っていた時期があった。
やれ韓がどうのこうの、やれ北がどうのこうのって、文句あるならやるぞ?みたいな思いはもってた。
あの原爆ドームや資料館の怖さは忘れていないのに、何故か戦争すれば勝つと思い込み、こっちの被害はそこまで無いと思っていたのである。
実際にはそんな事はありえない。北と戦争になれば敵は北だけでは無くなり、周辺各国を巻き込む構図になるのは必須なんだ。
だって本当はみんな戦争したくてウズウズしてて、そのキッカケを作る為に外交して、自国の大義名分を関係各国に知らしめる事こそが狙いなんだ。
人間の歴史は長い。その長い歴史の中で日本だけが原爆の被害を受けている。しかも民間人も巻き込んでの大破壊。
これは後世に残すべきものだし、伝えて教訓にしなければならない。
そんな日本の気持ちや取り組みを、何となくってだけで蔑ろにしていた当時の自分は何だったんだろ。
今自分は親となり、昔ほど敵意むき出しで隣国を見る事は無くなった。それでも、自分の子供達に向かってミサイルを飛ばされるなら立ち上がるつもりはある。
今度は誰かを守る為
大義名分だよ。でも陳腐な大義名分じゃなくて、自分の手の届く範囲の大義名分。
やれ自国が!とか、やれあの国が!とかじゃなくて、自分の子供達に対して明確な敵がいるなら相手が人間の形してても構わない。やられる前にやる。
でもここで、ふと感じた事があったんだ。
当時の日本兵も同じような事を考えていたのだろうか?
そんな大義名分が大きなウネリになって国対国、連合対連合の争いになってゆくんだろ。
終戦近くは「お上の暴走」みたいな扱いで政府や天皇の責任にしたが、思い返して頂きたい。
我が子を守る、そんな当たり前の感覚が戦争の火種になるんだ。 もし、近々日本が戦争を起こしたとして、劣勢に立たされる状況もあるだろう。赤紙とかに泣く時がくるかもしれない。でもそれは、自分達日本人が望んだ事なんだよ。決して「お上が決めた事」じゃないんだよ。 自分は、戦争は極力避けるべきものだと思っている。でも、絶対じゃない。何度も言うが我が子に刃が向けられて平常心でいられる人間などごく僅かだろうから。キリストじゃないしね。
だから原爆みたいな民間人を問答無用で叩きのめす悪魔の兵器は使ってはならない。
戦闘員は考え、心を整え、覚悟をきめている。 だけども貴方はどうだい?戦闘員じゃないよね?それが突然明日から、目が見えなくなり、髪が抜け落ち、身体じゅうからウミが湧き出てくる火傷をおわされるんだ。たまったもんじゃない。
今日Twitterとかインスタとかみてて一度も原爆がタイムラインにのらなかった。おじさんはすこし悲しいよ。
でも、平和ってこうゆうこと。